「すいません、ちょっと銀座までお願いします」
疲れからついつい居眠りしていた私は、車のドアをノックする音とその声で目が覚めた。私は後部座席のドアを開け、メーターのスイッチを押し、銀座へと向かった。本日最初のその客は、見た目は六十過ぎだろうか、白髪混じりの気難しそうな男だ。額に深く刻まれた皺が、年輪と貫禄を表している。
「プリマハムモンスターズが優勝しましたね」
野球の話と、天気の話は、会話のきっかけに丁度良い。この商売は、ある程度の話術と、空気を察する力が必要な仕事なのだ。客の気持ちと性格を読み取り、喋り相手になったり、時には無口になったり。さて、この客はどのように返してくれるだろうか。
「私の息子も、モンスターズの選手なんですよ」
渋みのある表情が少し崩れた男の口からは、考えてもいなかった予想外の答えが返ってきた。実は私はプロ野球に全く興味がないのだ。モンスターズの選手なんて、新聞やテレビで話題になっている選手しか知らない。例を挙げれば、今期で引退する金城選手と、あのハーフの投手……もう名前も思い出せない。そうだサルフィッシュだ。
その程度の選手しか知らないから、息子の名前が聞けない。名前は知っているふりをしても、顔とポジションが全く思い浮かばないだろう。この話題をこれ以上追っていくのは危険だ。しかしその男は、私のそんな想いを知る由もなく、話を続け始めた。
「私の息子も、今期で引退ですからねぇ」
引退というフレーズで私は金城選手をイメージした。金城選手なら、コーヒーのコマーシャルや、スポーツニュースで流れる強力な個性で、野球に無知な私でもある程度は知っている。しかし、モンスターズを今期で引退する選手は、金城選手だけではないはずだ。名前は知らないが、戦力外通告を受けて引退する選手もいるのではないか。正直私は、社交辞令で始めた会話でここまで苦しむとは思わなかった。
「ご自慢の息子さんですね」
こんな時は話題を変えるに限る。願いは届いたのか、上機嫌で息子の自慢話を始める男。両親思いで、毎月仕送りを送ってくれている事、高級車や数億円の豪邸をプレゼントしてくれた事、そしてプロ野球選手として活躍してくれた事、息子の夢は私の夢、それが何よりの親孝行だと。
「運転手さん、息子さんはいらっしゃるのですか」
私はその質問に言葉を詰まらせた。私にも息子は一人いるのだが、プロ野球選手とは違い、無職。昼過ぎまで寝床から起き上がらず、学校も行かず、勉強もせず、夜は夜で友達とどこかに行ってしまう。プロ野球選手が偉いとか、私の子供が駄目だとかは関係なく、それぞれの人生があるとは思ってはいるが、どうしても比較してしまう。親孝行なんて、お風呂を沸かしてくれることぐらいか。それでも私にとっては大事な一人息子だ。
そんな会話をしている間に、銀座へと到着した。男は料金を支払い、お釣りの小銭を受け取ると、ビルの方へと歩いて行った。
「お客さん!!」
私は、街の中に消えて行く男に向かって大声で叫んだ。男はその声に反応し、そっと歩みを止め、こちらを振り返った。
「私にも、自慢の息子がいますよ」
私の返答に男は笑顔で手を振り、一礼すると、また街の中へと消えて行った。

「またのご乗車、お待ちしております」
私は深々を頭を下げた。
ランキングが125位(笑) 我ながらザコ(笑)
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